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【戊辰戦争のはじまり】鳥羽・伏見の戦いから150年を迎える

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今日は激戦の鳥羽・伏見の戦いから150年目になります

この戦いは戊辰戦争のはじまりであり、これをきっかけに旧幕府軍と新政府軍が争うことになります

ちなみに1月3日というのは旧暦のため、現在使われているグレゴリオ暦にすると日付がまた変わってきます

旧暦だろうと普通にグレゴリオ暦と同じように扱うんですけどね(笑)

 

鳥羽・伏見とあるように戦場は京都の南にある鳥羽と伏見でした

この地で行われたのは御所への唯一の通り道であり、旧幕府軍は御所へ行くには必ず通らなければいけなかったため、対策が施しやすく、沼地などが広がっていたため、防御もしやすかったのである

都から離れていたため、都の被害を少なくさせる意味合いもあった

 

新政府軍の5000に対して旧幕府軍は15000の戦力をもって上洛を果たそうとした

新政府軍は薩摩藩長州藩土佐藩など維新勢力が中心となり、指揮官には戊辰戦争で活躍する西郷隆盛がいた

旧幕府軍はフランスによる訓練を受けた幕府陸軍会津藩桑名藩京都見廻組新選組などが参加し、指揮官は竹中重固をはじめ、土方歳三永倉新八が参加している
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3日の午後5時頃に戦端が開かれた

鳥羽での戦闘を発端に伏見でも戦闘が行われた

兵力では圧倒的に有利だったにも関わらず、旧幕府軍は敗走することになる

鳥羽での戦いで新政府軍から奇襲を受ける形となり、先鋒が潰走

これにより、旧幕府軍は総崩れとなってしまう

見廻組など一部がなんとか踏みとどまって抗戦していたところに後方を進行していた桑名藩などが合流し、反撃を開始したものの新政府軍の優勢な銃撃の前に被害が大きくなるばかりであったため、ついには退却を開始したのであった

 

伏見では会津藩新選組などが斬り込み攻撃を仕掛けていた

被害をだしながらも何度も突撃を行っていたものの、薩摩藩砲兵の放った砲弾が伏見奉行所内の弾薬庫に命中し奉行所が炎上する事態となった

さらに新政府軍は周囲に放火し、それを照明がわりに銃撃を行なってきたのである

さすがに旧幕府軍もこれには耐えられず、伏見でも撤退を行うことになった

 

これで旧幕府軍は新政府軍に対して敗北し、多くの藩が新政府軍に対して協力することになった

以降、旧幕府軍は敗戦を重ね、明治という世が誕生するのであった

 

旧幕府軍が敗北した理由として、旧式の装備であったため、士気が低かったためと言われているが変わりつつある

新政府軍も旧幕府軍も双方、外国から支援を受けていた

新政府軍はイギリスから、旧幕府軍はフランスから支援を受け、西洋的な軍隊としての訓練も受けていた

装備の面もそれほど大差があるわけではない

旧幕府軍は刀で戦い、新政府軍は銃を使っていたとよく思われているがそんなことはない

双方とも刀・銃を使っていた

 

敗北した理由は圧倒的な兵力を投入しながらもそれを上手く生かすことができなかったためである

街道における戦闘のため、数の有利を生かすことが出来なかった

また、新政府軍は散兵戦術をうまく使い、敵を各個撃破していった

装備・士気に関わらず、戦略・戦術で戦いがはじまる前からすでに負けていたのだ

旧幕府軍の援軍が大津の新政府軍を警戒して、到着しなかったことも一因であろう

戦とは難しいものよ

 

戊辰戦争から150年を迎える今年をきっかけに鳥羽・伏見の戦いの跡地を訪れてみるのもいいかもしれない

 

メルカバ